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1999/11/04
Last renewal 2001/08/12
 本堂が宝形造の六角堂であることから、一般に六角堂の名で呼ばれるが、正しくは紫雲山頂法寺とう。用明天皇2年(587)に聖徳太子が創建したと伝える。西国33所第18番札所。建仁元年(1201)親驚が百日間叡山より毎夜当寺に通い、霊夢によって浄土真宗開創の根源を得たとも伝えられる。この時親驚が奉納したという六字名号が寺宝として残されている。  寺務所は池坊とよぱれ、創建の際、太子沐浴の泉と伝える池の傍に堂を営み、朝夕仏前に花を供えた。これが今日の華道のはじまりとされ、池坊流の起源でもある。  本堂の敷石中央には、へそ石と呼ばれる中央に穴のあいた石がある。延暦13年(794)の平安京造営の際、六角堂が道のまん中になるため、六角堂は北に16mほど動いたため、このへそ石が残ったという。古くから、この石が京の都の中心とされていた。また六角堂は、観音寺・蓮華王院(三十三間堂)・六渡羅蜜寺・清水寺・長楽寺・新長谷寺とともに洛陽七観音のひとつに数えられている。  応仁の乱後、京の町と寺院が復興整備された際、六角堂は庶民信仰の場として再興される。以後は「町堂」の性格を持つ寺院として、町構成の中心的役割を果した。天文法華一揆の結集地ともなったこともでも知られている。上京では中心にあった革堂が、下京では六角堂が、町組・町衆にどって身近な存在として機能していた。  応仁の乱以降、何度か火災にあったが、寛永8年(1641)に、内裏造営に際し余材を受けて本堂・四脚門を建立したといわれ、規模も、多聞院・不動院・住心院・愛染院などの寺家があった。しかし、宝永・大明・元治の大火に焼失。寺家も廃絶したり分離して現存せず、現在の堂宇は明治8年(1875)に再建されたもの。  当寺執行の住居は本堂後方にあり、池坊といわれて、華道家元としても著名。十二世専慶は草木自然を愛し、文明年間(1469〜87)に花の名手として世に知られていた。これより立華が起こり、連歌の作者として名高い二十六世専順は更に華道を発展させ、二十三世専好は後水尾天皇に招かれ宮中の花会を指導したという。


六角堂(頂法寺) Rokukaku-do
建設 明治8年に再建
構造 木造宝形造
 
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所在地 京都市中京区堂ノ前町

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